Single Victory Club [8] Members 2020s

 
Single Victory Club [8] Members 2020s
冒頭写真:
仲良しフランス人3人組での記念撮影。
2020年代にSVC会員となったエステバン・オコンとピエールガスリーに囲まれる非会員ロマン・グロージャン。
なぜ君だけ入会しなかったの?

1回しか勝てなかった男たち列伝 その8 ≪2020年代≫

最終更新:2022年第4戦エミリア・ロマーニャGP終了時点での加筆修正

改めて、F1で1度でも勝つことがどれほど難しいか考えてみる。
F1ドライバーになれるだけでも凄いことであり、それぞれが各国の上位カテゴリーやFIA公認の育成カテゴリーでトップクラスの成績を収めたからこそ上り詰めることができたのであり、そこにいるだけで世界で20位以内の「頂点を極めた者」となる。
ウデ・モノ・カネ・ウンの総合力が重要なのは言うまでもないが、特に近年ではスーパー・ライセンス・ポイントの導入もあり、カネがあるだけでは乗れない。2021年シーズンのF1坊ちゃん三羽烏と謳われる、カナダのユダヤ人富豪ローレンス・ストロールの息子ランスはイタリアF4、トヨタ・レーシング・シリーズ(TRS)、FIA-F3でそれぞれチャンピオンになっているし、同じくカナダの豪商マイケル・ラティフィの息子ニコラスはFIA-F2で総合2位を獲得し、ロシアの金満家ドミトリー・マゼピンの息子ニキータはF3アジア選手権とGP3で総合3位、F2では優勝2回を含む表彰台6回で総合5位の実績を引っ提げてのF1昇格となった。
1950年から始まったF1世界選手権は、2019年に通算1,000レースを迎え、2020年には70周年を祝い、唯一1950年から継続参戦しているフェラーリは2020年9月のトスカーナGPで通算1,000戦を飾ったが、2022年第4戦エミリア・ロマーニャGP終了時点では、この長い歴史の中でも優勝したドライバーは112人しかいない。
毎戦20人以上(時期によっては40人以上)の、前述のような世界選りすぐりのドライバーが1,000回以上も勝利を目指して走ってきたにもかかわらず、この数だ。
そして、勝った者の中には、99勝を挙げたドライバーもいれば1勝しかできなかった者もいる。
112人中1勝だけのドライバーは34人で、複数勝利したドライバー(78人)の方が多いということから、一見、一度勝ってしまうとその後も続く「勝ち癖」がつくとも考えられるが、この世界はそんなにアマいものではない。
複数勝利者が「1勝だけ」ドライバーより多いのは、そもそも複数勝利ドライバーの所属するチームが強いからである。マシンが良いからである。つまり、勝てるチームにいないと勝てない。
凡庸なチーム/マシンで偶然拾った、あるいは幸運に恵まれて勝利を挙げた者や、勝てたは良いが勢いが続かなかったチームに在籍した者は「1勝だけ」クラブに入会することはできても、なかなか退会することができない。
そう。全ドライバーが入会を渇望するにもかかわらず、入会した瞬間から、今度はとっとと退会したくなる(2勝目を挙げたくなる)のがSVC(Single Victory Club/「1勝だけ」クラブ)の定めなのだ。
勿論、一勝を挙げた後のレースで事故死した者、あるいは大怪我でレース人生を諦めた者もいる。
優勝したドライバー112人全員が一度は入会し、78人が(2勝目を挙げて)退会し、34人が SVC 会員として残っている。
これを詳しく見てみる。
会員全34人中死亡した者(=永久会員)は24名、内F1以外のレース中またはテスト中に死亡した者は4名(ルイジ・ファジオーリ、ボブ・スウェイカート、ジミー・ブライアン、ヨアキム・ボニエ)、F1で死亡したものは3名(ルイジ・ムッソ、ロレンツォ・バンディーニ、フランソワ・セベール)
10名の生存者の内6名(ヨッヘン・マス、アレッサンドロ・ナニーニ、ジャン・アレジ、オリビエ・パニス、ヤーノ・トゥルーリ、パストール・マルドナド)はレギュラー・レーシング・ドライバー業を引退
F1以外のカテゴリーでレギュラードライバーとしてレース活動を続けている者はヘイキ・コバライネンのみ。ロバート・クビサはアルファロメオでリザーブドライバーを務めているが、2019年の一年だけウィリアムズからカムバックできたことだけでも奇跡的・歴史的出来事であり、レギュラー再復帰とそれに続く勝利を得ることは一筋縄では行かないはず
2021年シーズン現役F1レギュラードライバーは2名。ピエール・ガスリー(2020年第8戦いタリアGPで入会)とエステバン・オコン(2021年第11戦ハンガリーGPで入会)
ガスリーとオコンの間のタイミングの2020年第16戦サヒールGPで入会したセルジオ・ペレスは、2021年第6戦アゼルバイジャンGPで優勝し早々と去って行った
ガスリー直前の入会者で2010年代最後の入会者でもあったシャルル・ルクレールは、2019年第13戦ベルギーGPで入会し、翌第14戦イタリアGPで退会となる SVC 在籍最短記録を達成している。
「初優勝後、翌戦での連勝」は他に8名存在するが、日数換算での「7日」はルイス・ハミルトンに並ぶ史上最短記録であり、今後F1の開催規定が変わったり、中5日での土曜決勝開催等が強行されない限り破り様のない記録である(下記の通り、過去に土曜決勝開催の実績はあるがこの時は2週連続開催ではない)
初優勝後、翌戦での連勝を達成したF1ドライバー一覧
SVC 入会日(初優勝)SVC 退会日(2勝目)SVC在籍期間
アルベルト・アスカリ1951年第6戦 ドイツGP第7戦 イタリアGP49日間
ピーター・コリンズ1956年第4戦 ベルギーGP第5戦 フランスGP28日間
ルネ・アルヌー1980年第2戦 ブラジルGP第3戦 南アフリカGP* 34日間
ナイジェル・マンセル1985年第14戦 ヨーロッパGP第15戦 南アフリカGP14日間
デーモン・ヒル1993年第11戦 ハンガリーGP第12戦 ベルギーGP14日間
ミカ・ハッキネン1997年第17戦 ヨーロッパGP1998年第1戦 オーストラリアGP133日間
ルイス・ハミルトン2007年第6戦 カナダGP第7戦 アメリカGP7日間
シャルル・ルクレール2019年第13戦 ベルギーGP第14戦 イタリアGP7日間

* 第3戦南アフリカGPは土曜に決勝が行われたため、7の倍数日間になっていない。

* ここに掲載されていないブルース・マクラーレンについても「初優勝後連勝」とされることがあるが、彼は1959年第9戦アメリカGPでの優勝後この年の残り4戦を欠場し、翌1960年第1戦アルゼンチンGPで2勝目を挙げており、「初優勝、(彼にとっての)翌戦での連勝」ではあるものの、残念ながらF1史上では連勝として記録されない。

というわけで、2020年代の SVC 入会会員は、2022年第4戦エミリア・ロマーニャGP終了時点で2名。
彼らは2021年現在現役F1レギュラードライバーであることから、SVCを退会する可能性が最も高い2人とも言える。
どちらが先に SVC を退会することができるのか2勝目を挙げることができるのか、同じ1996年生まれの(オコンの方が7ヶ月若い)フランス人同士の戦いは続く。

ピエール・ガスリー(フランス)

2020年第8戦イタリアGP / アルファタウリでの優勝。
33人目となる SVC 現役会員は、フランス人の入会としては現役SVC会員の先輩であるパニス以来24年振り。
1990年代の入会者全2名(ジャン・アレジ、オリビエ・パニス)はともにフランス人だったが、それ以降で初めてのフランス人の入会となった。
2人もの友人の死や姉妹チーム内での降格の憂き目を乗り越えての劇的な優勝であった。
2013年シーズン、2年目のユーロカップで3回の優勝を決めたレース全てでポールトゥウィンを果たす等、僅か1回のリタイアを除く全戦でポイントを獲得して年間タイトルを獲得。

2014年からレッドブル・ジュニアチームのメンバーに加わり、フォーミュラ・ルノー 3.5 シリーズに参戦。優勝はならなかったが表彰台圏内のフィニッシュを8回達成し、カルロス・サインツJr.に次ぐ総合2位となった。
2015年からGP2に昇格。4回の表彰台圏内フィニッシュも、総合順位ではチームメイトでウィリアムズF1チームで開発ドライバーを務めるアレックス・リンを上回ることが出来ず総合8位で終える。
2016年、チームメイトで前年マスターズF3でタイトルを獲得したアントニオ・ジョヴィナッツィ(2位)を下し、シリーズチャンピオンを獲得。
2017年はレッドブルのグループチーム、トロ・ロッソからのF1のデビューが確実と見られていたが、ダニール・クビアトの残留決定により断念、2015年のGP2王者ストフェル・バンドーンと同じく日本のSF(スーパーフォーミュラ)へ参戦。ホンダエンジンユーザーのチーム無限に所属し、ガスリー車のみレッドブルカラー仕様となった。この年はこの後目まぐるしいレース活動となる。
7月にはFIA 世界耐久選手権(WEC)に出場するセバスチャン・ブエミの代役としてフォーミュラEニューヨーク大会2連戦にスポット参戦。e.DAMSのルノーZ.E.16をドライブし、2レース目(Rd.10)で4位に入賞。
8月にはSF第4戦もてぎで初勝利を挙げると、9月の第5戦オートポリスでも連勝。最終戦鈴鹿を残し、ランキング首位の石浦宏明から0.5ポイント差につけた。
10月にはF1第15戦マレーシアGPと第16戦日本GPにはレギュラードライバーのダニール・クビアトの代わりにトロ・ロッソから出場。カーナンバー「10」を選択したが、これは2014年まで小林可夢偉がつけていた番号であり、他のドライバーが着けていた番号を別のドライバーが使用した初めてのケースとなった。
F1第17戦アメリカGPと同日に開催されるSF最終戦のどちらに参戦するか注目されたが、最終的にSFのチャンピオンを目指すことを選択。決勝当日は台風21号の影響で中止が予想されたため、予選ポール・ポジションの1ポイント獲得を狙ってアタックしたが1コーナーでスピン。結局レースは中止、シリーズ2位になるもルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。
ホンダ贔屓からか特に日本のF1ファンの間では「台風さえ来なければガスリーが2017年SFチャンピオンだった」という声があるが、最終戦の予選でスピンせずにポールを取っていれば文句なくチャンピオンだったので、ガスリーサイドからは台風のせいにしたような発言は無かった。ましてやこの年のSF最終戦は2レース制で、ポール獲得だけでも2ポイント獲るチャンスがあった(レースは中止となったが、ポールシッターのアンドレ・ロッテラーとヤン・マーデンボローはそれぞれ1ポイントずつ獲得)。
そのF1アメリカGPはクビアトが復帰したが、第18戦〜19戦で再びガスリーが走った。
F1参戦初年度はポイント獲得はならなかったが、F1で出走した5戦全てで完走を果たした。
2018年、パワーユニットをルノーからホンダに変更したトロ・ロッソより、ブレンドン・ハートレイをチームメイトにフル参戦を果たすと、第2戦バーレーンGPでは予選6位を獲得、決勝では4位入賞し自身F1初ポイントを獲得。これは、新生トロ・ロッソホンダの初ポイントであり、ホンダ第4期F1活動における最高順位、マクラーレンのフェルナンド・アロンソの5位を更新するものでもあった。また、トロロッソの歴代のなかでも数少ない4位入賞者の一人となった。
その後もバーレーンGPの4位入賞を筆頭に計5回入賞。
2019年は前年の活躍が認められ、ルノーへの移籍が決まったダニエル・リカルドの後任としてレッドブルへ昇格、チームメイトはマックス・フェルスタッペン。
2018年シーズン終了直後のアブダビテストの2日目で、下馬評通りシャルル・ルクレールのすぐ後ろにつけた。
しかし、プレシーズンテストで2度のクラッシュを起こし、パーツ不足からテスト計画が狂い、走行時間が減ってしまったことから後々尾を引く苦戦を強いられることに。第12戦ベルギーGPでは予選3番手を獲得するもセッション中にニコ・ヒュルケンベルグの走行を妨害したとして6番手に降格、更に決勝ではジャンプスタートをしてしまいドライブスルーペナルティを受けることになった。だがペナルティ消化前にマルシャのティモ・グロックと衝突しフロントノーズを破損、リタイア。これにより次戦はベルギーGPで受けるはずだったペナルティに加え更にグロックとの接触のペナルティにより10グリッド降格の処分が下された。
結果、トロ・ロッソのアレクサンダー・アルボンのレッドブル昇格と入れ替えにベルギーGP以降の残りのシーズンを再びトロ・ロッソへ降格することになるが、ここから奮闘。前半戦の不振から一時はF1のシート喪失も噂されたが、後半戦は大活躍。
シーズン後半戦の第13戦ベルギーGPで9位入賞を果たし、それを含めた第19戦アメリカGPまでの7戦中4戦で入賞。また、第17戦日本GPから第19戦アメリカGPまで予選Q3進出を達成。第20戦ブラジルGP予選ではQ3進出のベスト・オブ・ザ・レスト7番手(決勝はシャルル・ルクレールのペナルティの関係で6番手スタート)を獲得、決勝は終盤のルイス・ハミルトンの追撃に耐えてトロロッソ史上3回目、チームとしては同シーズンで2回目の表彰台となる2位でチェッカーを受けた。
最終戦を接触によりノーポイントで終わってしまったため、僅差でドライバーズランキング6位の座を逃した。
2020年。
トロロッソから改称したスクーデリア・アルファタウリより継続して参戦。
開幕戦は7位入賞、第2戦で今季初の予選Q3進出を果たしてから、以降も複数回Q3進出を記録、予選成績では第6戦までチームメイトのクビアトに勝利し続けた。
第7戦ベルギーGPでは前年にF2ベルギー戦のクラッシュで他界したアントワーヌ・ユベールに花束を手向け哀悼の意を示した。決勝はセーフティーカーによってレース戦略が狂ってしまいピットイン後は最後尾まで下がる事態となったが、そこから猛烈に追い上げ8位まで挽回する走りを見せた。
翌第8戦イタリアGPはチームのホームグランプリであったが、予選Q3進出の10番手スタートとなった。決勝はセーフティーカー出動前まではトップ2を除き団子状態となったため膠着状態に陥ったが、セーフティーカー出動直前にタイヤ交換を行う結果となったことやそれに関連して他車のタイヤ交換に伴いトラックポジションを上げる幸運に恵まれた。そして、シャルル・ルクレール(フェラーリ)のクラッシュに伴う赤旗中断を経て再スタートし、混戦を潜り抜け首位へ浮上。2位カルロス・サインツJr.(マクラーレン)とのマッチレースを制して初優勝を飾った。
この時は非ワークスの中団チーム(トロ・ロッソ、マクラーレン、レーシング・ポイント)が表彰台を占めることになったが、メルセデス、レッドブルのいずれも表彰台にいないレースは2012年ハンガリーGP以来8年振り。チームとしては前身のトロ・ロッソ時代から12年振りの優勝、ホンダエンジンとしては1992年以来28年振りのイタリアGP優勝、ホンダとトロ・ロッソ/アルファタウリが組んで50戦目となる節目のレースでの優勝等、様々な記録が生まれた。
第9戦こそリタイアとなるが、第10戦以降の成績は3戦連続入賞も含め計5回入賞。第12戦ポルトガルGPでは、金曜日のフリー走行でマシンが炎上するトラブルに見舞われながらも決勝ではタイヤをうまく使いこなし5位入賞を果たし、第8戦に次ぐ成績を記録。第13戦エミリア・ローマニャGPでは予選で自身最高位タイとなる4位を記録(決勝はマシントラブルでリタイア)し、最終的にはドライバーズランキング10位となった。
前年に入れ替わりでレッドブルに移籍したアルボンが不振に陥っていることもあり、翌シーズンから再びレッドブルに戻るのではないかと推測されることもあったが、アルファタウリに残留することが発表された。再昇格とならなかった理由としては、アルファタウリ自体がリブランドされたチームとなった関係でアルファタウリ側にもエースが必要であるというものと、アルボンと入れ替えてもレッドブルのマシンの特性に影響されて再度失敗することになる可能性が高いと分析した結果だと言われる。
2021年。
予定通りアルファタウリから参戦。チームメイトは2020年のフォーミュラ2に参戦していた角田裕毅。
開幕戦では予選で5番手を獲得するものの、決勝はスタート直後の混戦の過程でダニエル・リカルド(マクラーレン)と接触。フロントウイングとフロアを破損し、予定外のピットインとなり、フロントウイング交換後、レースに復帰したものの、終盤にギヤボックスの異常が発生したためリタイアとなった(ただし、記録上は90%以上の距離を走行したため規定により完走扱いの17位となっている)。第2戦も予選5番手となり、決勝は天候に翻弄されながらも8位でチェッカーを受け、今季初入賞を記録した(また、前の順位のマシンの1台がペナルティによる降格で生じた順位変動により、記録では7位入賞となっている)。
第6戦アゼルバイジャンGPでは、予選で自己最高位タイとなる4番手を獲得、決勝はレースの大半を上位で走行し、レース終盤の赤旗中断からのリスタート後、シャルル・ルクレール(フェラーリ)との3位争いを制し、表彰台を獲得。
同郷のエステバン・オコンは家族ぐるみの友人。ガスリーは幼少期にサッカーをしていたが、オコンの父親から「エステバンのゴーカートに乗ってみないか?」と誘われたことがモータースポーツを始めるきっかけになった。
レッドブル育成ドライバーとして4度のワールドチャンピオンを獲得したセバスチャン・ベッテルはメンターであり良き先輩。GP2タイトルを獲得したにも関わらずF1昇格のチャンスを得られなかったガスリーは、当時面識のなかった大先輩のベッテルに直に相談。既にレッドブルを離れフェラーリに在籍していたにも関わらず、ベッテルは親身になって後輩の相談に乗った過去がある。また、この師弟関係は一時的なものではなく、ガスリーがF1に昇格した後も続いており、2020年イタリアグランプリで優勝した際、母国のエマニュエル・マクロン大統領を筆頭に数え切れない数の祝福のメッセージを受け取る中、ベッテルから「僕らはこのチームで勝利を掴んだたった2人のドライバーだ」という祝福のメッセージをもらったことを明かしている。
F1レース中の事故の影響で2015年に亡くなったジュール・ビアンキはFFSAアカデミー時代から尊敬していた友人だった。また、2019年9月にF2に参戦しレース走行中の事故により他界した同郷のアントワーヌ・ユベールとはカート時代の同期であり、シャルル・ルクレールも同じレースで走ったこともあった。二人とも彼と幼少時代からの親友で、ガスリーの場合、近所で同じ学校に通うクラスメートでもあった。そのため、F1ベルギーGP決勝終了後のコメントでは悲痛な気持ちであることを吐露。当時もルクレールと並んで悲しみに暮れる様子を見せていた。また、翌年となる2020年ベルギーグランプリ前のインタビューでユベールとの思い出を語り、降格した直後、彼から「実力を証明して見返してやればいいじゃないか」という励ましのメッセージをもらっていたことも明かし、改めて彼に哀悼の意を示した。

エステバン・オコン(フランス)

2021年第11戦ハンガリーGP / アルピーヌでの優勝。
34人目となる SVC 現役会員は、ガスリーに続いてフランス人となった。
現時点では1990年代の入会者全2名(ジャン・アレジ、オリビエ・パニス)と偶然にも同じく、2020年代もガスリーと合わせて二人ともフランス人の入会となっている。
2007年、カート選手権のフランス・ミニム・チャンピオンシップで総合優勝に輝くと、翌2008年のフランス・カデット・チャンピオンシップでもシリーズ制覇を果たし、2年連続で国内カート選手権のタイトルを獲得。2011年にはKF3カテゴリーのフランス選手権も制し、国内では敵無し。
2012年からフォーミュラ・ルノーの複数シリーズに参戦し、2013年のマカオグランプリでF3マシンデビュー。この頃からルノーに才能を認められ、支援を受け始める。
2014年は、FIA ヨーロッパ・F3選手権へ参戦。開幕戦の3レース全てで表彰台に上った後もコンスタントにポイントを積み重ね、優勝9回、表彰台21回を記録し478ポイントを獲得、総合順位で2位と58ポイント差をつけ無双、参戦初年度で初タイトルを獲得。
この年、ルノーの肝入りにより、最終戦アブダビGPフリー走行でロータスから初のF1セッションに参加。
2015年はGP3シリーズに参戦。第2戦オーストリアラウンド第2レースでは失格処分になるも、第3戦第2レースから第7戦第2レースまで9連続2位表彰台を獲得、勝つだけでなく安定した走りも披露して常に選手権上位を争う走りを見せ、シリーズタイトルを獲得。
今度はメルセデスの後押しで、フォース・インディアからバルセロナインシーズン・テストに参加。
2016年はメルセデス・ベンツのラブコールに応えてドイツツーリングカー選手権に参戦しつつ、ルノー・スポールF1チームのテストドライバーに就任し、またメーカーの枠を超えてメルセデスF1のリザーブドライバーも兼任。
この後もこのようなルノーとメルセデス両陣営からの餌をぶら下げた熱烈な囲い込み合戦が展開されていくが、この有望な才能を奪い合う綱引きの結果が後の2019年に皮肉な顛末を引き起こす要因になる。

8月には、マノー・レーシングから参戦していたリオ・ハリアントが資金面の問題によりシートを失うとその後任として第13戦ベルギーGPでF1デビューを果たす。この動きもメルセデスの意向であり、チームメイトは同じくメルセデスの育成ドライバーであるパスカル・ウェーレイン。
予選では半年先にデビューをしていたウェーレインに負けることが多かったが、決勝レースでは互角の勝負を見せ第20戦ブラジルGPでは雨の波乱を耐え切り12位完走、マシンのパフォーマンスの低さもあってこれが最高位となり、Q3進出や入賞を果たすことはできなかったものの参戦した9戦は全てで完走(ウェーレインは最高位10位、リタイヤ5回)。
2017年もメルセデスの主導の下、今度はフォース・インディアからレギュラードライバーとしてフルシーズン参戦。開幕戦ではフェルナンド・アロンソとニコ・ヒュルケンベルグとのバトルを制して10位入賞を果たしキャリア初入賞を記録。その後もチームメイトのペレスと共に安定してポイントを重ねた一方、度々チームメイトと接触し、ペレスがアゼルバイジャンGP、ベルギーGPでリタイア(ベルギーでは17位完走扱い)している。これが原因で、チームが今後はチームオーダーの発令を示唆する事態となった。
アメリカGPではマックス・チルトンの持っていたデビューからの連続完走記録25を超え単独トップとなるも、ブラジルGPではロマン・グロージャンとの接触でクラッシュ、連続完走記録が27で途絶えたと同時にF1デビュー後初のリタイアとなった。
シーズンの成績は20戦中18戦で入賞、最高位はスペインGPとメキシコGPで獲得した2回の5位入賞、ドライバーズランキング8位で終えた。
2018年、フォース・インディアに残留。チームメイトも引き続きペレス。バーレーンGPで辛うじて10位入賞と、ペレスより早くシーズン初入賞を果たしたが、シーズン前半は風洞とCFD(数値流体力学)がマシンと合っていないことに起因するマシンの不調やチームの資金難によりマシン開発が停滞の影響を受けたマシンで戦うこととなった。
それでも、モナコGP、オーストリアGP、ベルギーGPで6位入賞し、特に雨で混乱したベルギーGP予選では自己ベストの3番手を獲得。一方で、他車との接触リタイアやバトルに熱が入り過ぎて順位を落とすなど、ドライビングの粗さも目立った。特にブラジルGPではラップリーダーとして走行中のマックス・フェルスタッペンと接触する結果を起こし、レース後にオコンの行為に激怒したフェルスタッペンから小突かれる一幕も見られた。この件については、チームとオコンは「ラップリーダーをパスして周回遅れを解消することが認められている」ルールの観点から、安易に道を譲ってくれると考えて無理な追い越しをかけたフェルスタッペンのミスと主張するものの、ストップ&ゴーペナルティとペナルティポイント3点が加点された。この件については、2年後の2020年のプレシーズンテスト時のドライバー一同揃っての撮影会で二人は握手を交わし、和解している。
シーズン開始からハンガリーGPまでの間は、フォース・インディアの資金面の問題もあり、ルノーチームへの移籍の噂が流れた。この背景には、オコンが2015年の最終戦で現ルノーF1の前身ロータスF1チームから初のF1セッションに参加した経歴や、ロータスが撤退する関係でメルセデス傘下に入ったが2016年はレンタル移籍という形でルノーのリザーブドライバーに就任するなど、メルセデスよりルノーとの関係が多かったことがあり、ルノーへレンタル移籍してシートを確保することが有力視されていた。だが、ルノーがサマーブレイク期間にダニエル・リカルドとの契約を成立させたことで可能性が消滅。そのため、一旦フォース・インディア残留に舵を切ろうとしたが、資産家のローレンス・ストロール率いるコンソーシアムがフォース・インディアのスポンサーとなった関係で、チームは少なくともシーズン中についてはオコンのシートを保障する意向を示したものの翌シーズン以降の同チームのシートについてはローレンスの息子であるランス・ストロールが優先されることが示唆され、フォース・インディア残留は不可能という見方が強まった。次にルノーPUのユーザーであるマクラーレン入りが噂されたが、イタリアGP後にランド・ノリスの起用が発表されたことにより、それも叶わず。結果、残されていたシートはウィリアムズとトロ・ロッソだけという状況であったため、突如としてシーズン後半から翌シーズンのシートについて苦境に立たされることとなった。
そのため、メルセデスチーム代表のトト・ヴォルフは、「彼には支援が必要だと考えたからこそ、こうしてサポートしている。もし育成下に置き続けることでシートを喪失するようであれば、再考する必要がある」と、オコンの才能を尊重するために、敢えて育成契約を解除して他PU勢チームへの移籍を容易にする意思を表明。また、前述の決断をしたルノーとマクラーレンを批判した。しかし、レッドブル・レーシング代表のクリスチャン・ホーナーは「他チームによる育成契約のあるドライバーを起用する気はない」と、メルセデスとの育成契約がある限りオコン起用を否定するコメントを発し、事実上トロ・ロッソ移籍の可能性を封じられ、逆に「彼のシートの確保を優先したいのならバルテリ・ボッタスと交代させてメルセデスが起用すべき」と反論。また、結果的にリカルドの契約を優先したルノーのアドバイザーを務めるアラン・プロストもヴォルフのコメントに対し、メルセデスの育成システムへの批判を交えながらホーナーと同じくボッタスと交代させる案を披露して皮肉った。
それでもメルセデスのサポートの元引き続きウィリアムズと交渉していたが、ウィリアムズがジョージ・ラッセルとロバート・クビサと契約したためその可能性も消滅。万策尽きたメルセデスは最終戦アブダビGP中に翌シーズンのオコンのリザーブ兼テストドライバー起用を発表。
2019年は前年の発表通りメルセデスのリザーブ兼テストドライバーに正式に就任。レーシングポイントとウィリアムズのリザーブドライバーも兼任するという見方もあったが、エントリーリスト上ではメルセデスのみであり、同チームのシミュレータでのテストを中心に活動することとなった。
翌2020年の動向については、シーズン前はボッタスの後任としてF1へ復帰するという見方が主流で、2019年シーズンの途中交代説やボッタスの2020年のオプション契約権を行使せずにオコンをメルセデス入りさせる説などが流れた。ところが、ボッタスがハミルトンに匹敵する戦闘力を発揮。このこともあり、オコンのシートに関する情報は不透明な状況が続いた。メルセデスは2020年についてオコンとボッタスのどちらかを選択するとコメントしたものの、ボッタス起用に踏み切るという見方が強くなった。また、メルセデスPUを搭載するレーシングポイントとウィリアムズもオコンの起用を検討している様子がなく、言わばメルセデスPUを使うチームのシートがないことから、2020年のF1復帰の可能性は低くなったという見方が強くなった。そのうち、第11戦ドイツGPでは、ハミルトンの体調不良の症状が出たため、リザーブドライバーとしてメルセデスから出走する可能性もあったが、ハミルトンは欠場を回避したため、オコンが出走する機会は訪れなかった。
そんな中、2018年に契約がまとまっていたルノーとの再交渉の噂や同チームのニコ・ヒュルケンベルグとの契約が2019年を以て切れることから、彼の後任という形でルノー入りしてF1復帰を果たすのではという見方も出てきた。そして、サマーブレイク期間中に、メルセデスのボッタスとの2020年の契約が発表されたと同時に、ルノーF1がヒュルケンベルグの後任という形でのオコンとの2年契約を正式に発表。これにより、2020年からF1へ復帰することとなった。
当初、ルノーへの加入はメルセデスからのレンタル移籍と予想する見方もあったが、ルノーへの加入に伴い、メルセデスのプログラムから完全に離脱した上での移籍となることが明らかにされた。ただ、マネジメント面は引き続きメルセデスが担当するものの、ルノーとの契約期間が終了するまでは事実上メルセデスチームへ加入することはないとされている。
2020年はルノーチームからF1へ復帰。開幕戦で8位入賞となり第6戦まではチームメイトのリカルドと同程度の成績であったが、リカルドが第7戦以降全て入賞しポイントを積み重ねたのに対し、マシントラブルが原因のリタイアが複数回あった影響もあり獲得ポイントではリカルドの約半分(リカルド119点対オコン62点)という結果に終わってしまい、メディアから厳しいコメントも出された。それでも、波乱のレースとなった第16戦で2位でチェッカーを受け、キャリア初表彰台を獲得している。
2021年はルノーから改称したアルピーヌに残留。この年からF1復帰を果たしたチームメイトのフェルナンド・アロンソがマシンへの適応に苦戦していることもあり、第5戦まで予選決勝共に彼に勝る結果を残していたこともあり、第6戦終了後にチームからオコンとの2024年までの契約を締結したことが発表された。
ところが、アロンソが第6戦で6位入賞を記録してからは、予選決勝共に敗れる結果が続き、メディアからは契約による慢心と揶揄される。
第11戦ハンガリーGPの予選では6戦振りにチームメイト対決に勝利。決勝は序盤の多重クラッシュを回避し、その混乱に乗じて2位へ浮上。クラッシュの処理のため赤旗中断となるが、再スタート後、首位ルイス・ハミルトンがタイヤ交換のタイミングを見誤って最後尾に転落したことから首位へ浮上。2位セバスチャン・ベッテルからの猛烈なプレッシャーを受け続けながらも一切ミスをせず、そのままチェッカーを受け、キャリア初優勝を飾った。後方から次々と追い上げるハミルトン(最終的に2位)の猛攻を、アロンソが10周にわたってブロックしたことが大きく役立った結果であった。