Single Victory Club [4] Members of 1980s

Single Victory Club [4] Members of 1980s


1回しか勝てなかった男たち列伝 その4 ≪1980年代≫

特筆すべきことに、80年代に Single Victory Club に加入したメンバーは一人しかいない。

80年代前半こそアラン・ジョーンズ、ルネ・アルヌー、ネルソン・ピケ、ジャック・ラフィット、カルロス・ロイテマン、ディディエ・ピローニ、ジル・ヴィルヌーヴ、アラン・プロストらが勝ちを分け合ったが、後半に差し掛かるとプロスト、ピケ、ナイジェル・マンセル、セナ・ダ・シルバの4強時代に突入し、間を縫うようにして優勝したゲルハルト・ベルガー、リカルド・パトレーゼといったドライバーたちも結局は4強のチームメイトかつセカンドドライバーであることが周知の者だった。極めつけは1988年のマクラ―レン16戦中15勝である。
上で名前の挙がっていない勝者はジョン・ワトソン、ニキ・ラウダ、パトリック・タンベイ、エリオ・デ・アンジェリス、ケケ・ロズベルグ、ミケーレ・アルボレート、ティエリー・ブーツェン。つまり80年代10年間で20人以下しか勝たなかったということ。

原因としては、チーム間の格差が大きくなってきたことと、F1ドライバーの数が多かった(= 新人が大量に投入され入れ替わりが激しかった)ことが挙げられる。
1989年の例では、金曜朝に予備予選が行われて13台中4台が予選進出し、30台で予選を戦った。計39台 = 39人は2015年シーズンのほぼ倍。しかもシーズン途中で目まぐるしくドライバーが入れ替わるので、年間を通してではもっと多くのF1ドライバー(48人)が登場した。

SVCの新加入者が少なかったということは、一部の者に勝ちが集中していたという事実のみならず、1勝もせずに去らざるを得なかった者がいかに多かったかをも物語っている。

アレッサンドロ・ナニーニ(イタリア)

1989年第15戦日本GP / ベネトンでの優勝。
2位でフィニッシュ後トップでチェッカーフラッグを受けたセナ・ダ・シルバが、アラン・プロストとの接触後のシケイン不通過で失格となり、繰上げで念願の初優勝を遂げた。
1990年、日本GP直前の10月12日、シエナ郊外にある自身の別荘敷地内で、1週間前に中古購入した自家用ヘリコプター「エキュレイユAS350B」搭乗中に着陸に失敗し墜落、ローターで右腕の肘と手首の間を切断、チームを離脱した。
事故でレース生命を絶たれたかに思えたが、縫合手術に成功し、長いリハビリを経てレースに復帰。その後は、DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)にアルファ・ロメオより参戦し活躍したが、F1カーを走らせるのに必要な体力と技術を取り戻すことはできずF1界に復帰することはなかった。
1992年日本GP前、フェラーリの企画で、ステアリングのグリップ部分にスイッチを移植し左手のみでシフトチェンジできるように改造したフェラーリF92Aをドライブした際に右手が耐えられないと自ら判断、F1復帰を完全に諦めたという。その時、「ずっと待っていたクリスマスプレゼントをもらった子供のような気分かな」とにこやかに話し、気取らない好漢ぶりをみせた。
現在は家業を継承した形で、自身の名を冠した喫茶店チェーンを世界的に展開している。日本にも東京都江東区青海のMEGAWEB内に「トラットリア・アレッサンドロ・ナニーニ」がある。なお以前は汐留の「イタリア街」地区に「リストランテ・アレッサンドロ・ナニーニ」が、名古屋港イタリア村と名古屋テレピアに「バール・アレッサンドロ・ナニーニ」があったが閉店した。静岡は店名が「トラットリア・パドローネ・ナニーニ」に変更されたが、2011年8月に閉店している。