Single Victory Club [2] Members of 1960s

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1回しか勝てなかった男たち列伝 その2 ≪1960年代≫

60年代の SVC 入会会員は以下の6名。

ジム・ラスマン(アメリカ)

1960年第3戦インディアナポリスGP(インディ500) / Ken Paul(インディーレースカーオーナー)マシーンでの優勝。
インディードライバーの彼が勝って以降のインディー500レースはF1世界選手権から外された。よって、2015年時点では最後のインディー500勝者=F1勝者である。

ジャンカルロ・バゲッティ(イタリア)

1961年第4戦フランスGP / FISAチーム(プライベーター・フェラーリ)でのデビュー戦優勝。
ノンタイトル戦での実績があったとは言え、1950年の選手権創設初戦を制したジュゼッペ・ファリーナ(これは当たり前)とインディー500ドライバーを除き、F1史上唯一のデビュー・ウィン達成者だが、その後は表彰台にすら立つことなくキャリアを終えた。

イネス・アイルランド(イギリス)

1961年第8戦アメリカGP / ロータス-クライマックスでの優勝。
1961年のモナコGPプラクティス中、トンネルを時速200km強で抜けるところでギアを4速に入れるべきところ誤って2速に入れるミスを犯す。ロータス21は何度か急旋回し、トンネル出口のウオールに激突、アイルランドは路上に投げ出された。幸いにもアスファルトで負った深刻なやけどと膝蓋骨を割っただけで命に別状はなかった。

ロレンツォ・バンディーニ(イタリア)

1964年第7戦オーストリアGP / フェラーリでの優勝。
1967年第2戦モナコGP88周目にヌーベル・シケインでコントロールを失いクラッシュ、マシンはパーツをばら撒きながら横転し出火、漏れたガソリンに引火して爆発、炎上するマシンに長時間取り残されて大火傷を負い、3日後に病院で死亡。31歳。
事故の際、現場のマーシャルたちが防火服を脱いでいたことから消火作業が遅れ、更には取材用のヘリコプターが接近しすぎたため鎮火しかけたマシンが再度炎上し、救出作業をより遅らせる結果となった。
活躍当時、イタリアでは国民的人気だったため、事故死に際しイタリアのマスコミは過度にフェラーリを批判。エンツォ・フェラーリはこれにうんざりし、以後チームにイタリア人を乗せるのを躊躇うようになったと言われている。
1992年に追悼する意を込めロレンツォ・バンディーニ賞が設立された。モーターレーシングの成績やスピードの速さだけでなく、キャラクターやF1へのアプローチで強い印象を与えたドライバーに対して贈られる。基本的には前年活躍した若手F1ドライバーに贈られているが、ドライバーではなくF1関係者に送られる場合もある。

リッチー・ギンサー(アメリカ)

1965年最終戦メキシコGP / ホンダでの優勝。ホンダとグッドイヤータイヤにとってもF1初優勝。
1989年、ドニントンパークでドキュメントビデオ「BRMの歴史」撮影に出席後、フランス・クレルモンフェランで行われる旧F1ドライバーの集いに参加するべく移動中に心臓発作で死去。59歳。

ルドヴィコ・スカルフィオッティ(イタリア)

1966年第7戦イタリアGP / フェラーリでの優勝。
1952年のアルベルト・アスカリ勝利以来15年振りのイタリア人によるイタリアGP勝利。2016年シーズン終了時点でも彼以降誰も達成していない。しかもフェラーリに乗るイタリア人によるイタリアGP勝利である。
元フィアット名誉会長ジャンニ・アニェッリの甥。
1968年ドイツでのヒルクライムイベント中に事故死。35歳。