Introduction – Teams driver has owned

 
Introduction – Teams driver has owned

list of article "Teams driver has owned" F1情報

The teams driver has owned – ドライバーはチームオーナーとしても成功するのか? ≪序章≫

輝ける1996年2月14日。
バレンタインデーのこの日、当時前人未到の51勝を挙げた4度の世界王者アラン・プロストによって、自らオーナーとなるプロスト・グランプリの発足記者会見が行われた。
プロストの母国フランスのチーム、リジェの買収から始まったこのチームは、幾度の困難を乗り越え、5年間の活動の中で出走回数83回、通算獲得ポイント35、表彰台獲得3回という記録を残したが、二転三転したゴタゴタの末、2002年第2戦マレーシアGPにマシンを持ち込んだ段階で幕を閉じた。
最終的な本稿の目的は、このプロスト・グランプリと、チームオーナーとなったアラン・プロストの経験した苦難の経緯を詳しく書くことであるが、まずは他のドライバー・チームオーナーを振り返って見てみないことには始まらない。
他のスポーツにおいても、優れた選手が名監督になることは稀である。
雇われ監督ならまだしもチームオーナーともなれば純粋にスポーツ面だけを考えていれば良いわけもなく、F1では弱小チームでさえ年間2億ドル程度の予算をどうやって確保するのかに常に悩むことになる。
できるだけ安く良いマシンを作るには、一見逆行動に見える高価な部品を使うか、優れたデザイナーを高価なサラリーで引き抜くか、数千万ドル掛けてコンマ1 秒短縮するならそもそもコンマ5秒速いドライバーを高年俸で引き抜くか、それとも莫大な予算を持つスポンサーを持ち込む新人ドライバーを雇って設備投資に回すか、堅実で定評のあるしかし高価なエンジンを載せるか、安くても将来性のある新規参入エンジンを選択するか、他を出し抜く奇抜なアイデア、未知数の先進技術を採用して勝負に出るか、常に駆け引きを考えなくてはならない。
もしも結果が良くて最終的にコンストラクター順位で上位に着くことができれば見返りは莫大。
F1初期の頃なら、ドライバーとしては成功しなかったがチーム運営を内側から見ていくうちに自分ならもっと上手くやれると気付いて経営・運営面に参画していくということもあり得た。
しかし、80年代以降予算規模が1億ドルの大台に乗った頃からは単に夢を追い続けるにはハードルが高すぎるようになった。
こんなに大きな博打を打つことは誰にでもできることではない。
サッカーチームを複数所有する世界長者番付上位の大金持ちでさえも、F1ではせいぜいサーキットの看板あるいはマシンに企業ロゴを載せるスポンサーに留まる程度で、むしろディートリッヒ・マテシッツやビジェイ・マルヤは例外。ヴァージンのリチャード・ブランソンもエア・アジアのトニー・フェルナンデスもフットワークの大橋渡も皆失敗している。
単に金があればいいというわけではないのだ。
優れたドライバーが引退すると、その名声を利用しようと政治家、国営企業は勿論、名前を聞いたこともない投資グループなどの怪しいパトロンたちがこぞって擦り寄ってくる。
自身の名を冠したチームの設立を夢見るドライバーの心は揺り動かされる。
この連載では、ドライバーからチームオーナーへと転身したケースをピックアップし、オーナーを主役としてチームの歴史を振り返ってみる。

《ある程度まとまった後に、チーム設立年順に章順を組み替えることも考えており、その際は読み易さを考慮し、改めて索引を作成するなど修正を加えます。予めご了承ください》